Sennheiser

ARTISTS MEET SENNHEISER

2016/03/10
Artists meet SENNHEISER
001
ダイアモンド✡ユカイ さん
ビートルズで目覚めたロックンロール人生
SENNHEISER(以下、S)まずは音楽を始めたきっかけから教えてください。
ダイアモンド✡ユカイ(以下、D)きっかけは骨折なんだよね。
S 骨折ですか?何かスポーツをやっていて?
D うん。野球をやっていて。どちらかというと音楽にはまったく興味のないスポーツ少年だった。でも中学の野球部が不良の野球部で。人数も多くて、くさっていたのもあるんだけど、つまんねえなって。そんなときに骨折しちゃって。踵にヒビが入っちゃって、一年くらい石膏を巻いていなければならない状態で。もう運動はできないから、帰宅部になって。そんな時期に不良の友達がいろいろなレコードを持ってきてくれたんだ。その中にT・レックスやディープ・パープルとかいろいろあって。でも音楽にまったく興味がなかったから、名前を聞いたことのあるビートルズを、これだったらいいんじゃないかなって聴いたらハマっちゃったんだよ。
S ビートルズの何のアルバムだったんですか?
D 『Please Please Me』。でも本当に疎くて。最初、ジョン・レノンがポール・マッカートニーだと思っていたからね(苦笑)。
S それはかなり興味ないですね(笑)。
D それが中学2年生のとき。俺たちの年齢だと、洋楽が好きな人はもっと早くに目覚めていて。T・レックスやデヴィッド・ボウイとか含めて、70年代の頭くらいっていうのは洋楽ブームだったから。キッス、クイーン、エアロ・スミスとかがガーンときて盛り上がった時代だったので。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンが人気あったけどね。俺なんかは疎かったので、ハードロックはなんかうるさい音楽にしか聴こえなかった。そんな中、ビートルズを聴いて、これだったらいいなって。初期のビートルズってポップだし、シンプルで誰でも楽しめる感じじゃない。楽しさが伝わってくる、それが最初。だからビートルズだね。
S ユカイさんの音楽はロックのイメージもありますけど、バラード調の曲もあるじゃないですか?それはビートルズからの影響なんですか?
D ビートルズからの影響が一番だろうね。そこからいろいろ好きになっていって。ロックの不良がかったのは高校生になってからだね。ビートルズ一辺倒で、みんなそういう人が多いんだけど、俺は高校でバンドを組んで、組んだやつが俺より洋楽が詳しいやつがいて。そいつは女の子にモテるような不良だったのよ。そいつの家に行くと、ロックだ、ブルースだといろいろあって。それでブルースの曲をいろいろと聴いて。ブルースと言ってもホワイト・ブルース。ジミ・ヘンドリックスやザ・フーとかね。マニアックなものもあったけど、そういうのを聴きながらカッコイイなと思って。それでローリング・ストーンズにハマっちゃったんだよ。
S なるほど。そして自分で曲を作り出したのはいつくらいなんですか?
D それはね、中学校2年のときにギターを弾き出して。すごい勢いでギターを弾いて、歌っていたから。結局。歌ものが好きなんだよね。歌が好きだから、インストゥルメンタルにはいかなかった。ビートルズって、歌もののバンドじゃない?やっぱり歌いたいというのが前面にあって。ギターを弾き出して、コードを知ってからは、適当に作って歌っていたけどね。ヒドイのは北山修さんという「戦争を知らない子供たち」などを作った有名な作詞家の人がいて、北山修全集みたいな文庫本があって。それに勝手に曲をつけて歌っていたりした(笑)。中学校のときに。「いい歌だね」と友達に言われて、「そうだろう」って(笑)。
S (笑)。その頃、コピーはしていなかったんですか?
D コピーはしていた。ただビートルズがカッコイイなと思っていたから、どんどん洋楽に走っていっちゃって。小学校の頃は歌謡曲をいっぱい聴いていたけど、洋楽のカッコよさを知っちゃうと、日本のポップスなんか聴いていられない、となっちゃって。でもいま思うとすごく影響を受けているんだけどね、いい曲がいっぱいあって。筒美京平さんとかね。今はリスペクトしているけど。当時の日本のロックは日本語でいかにカッコよく歌うか、というのがテーマだったと思うんだよ。それでキャロルが出てきてさ、ジョニー大倉さんが印象的な歌い方をして。曲は永ちゃんだけど、こういう風に乗せて歌うとなったときに、「ジョニー、これは発明だよ!」って言ったという。それまでの歌い方はチャンポン語と言っていたんだけど、「ルイジアナ」とかの歌い方が、その後の桑田佳祐さんやミスターチルドレンに繋がるんだけど。日本語ってさ、譜割りがカチカチしているんだよね。当時は詞が一番重要で、音楽って一般人の人には実はマニアックには分からないじゃない?俺たちはどういう風に洋楽を聴いていたかというと、インストゥルメンタルのように聴いていたんだろうね。イメージで捉えていた。ビートルズの曲にしても。ローリング・ストーンズなんか特にさ、何を言っているか分からないから。ミック・ジャガーがデカい口を開けてさ(笑)。ボブ・ディランとかも分からないじゃない?でもそういうのがカッコイイなって、インストゥルメンタル的に聴いていた。その中でカッコよく日本語を歌うというのをテーマにしていくと、いろいろなところに出会うんだよね。キャロルが多分、最初だったと思うよ。そこからこういう風に歌えばいいんだって。俺が高校に入ってからサザンオールスターズが出てきて。変な歌い方で。最初はイカサマみたいなね、何が「勝手にシンドバット」だって。でも曲はいいなと。やっぱり洋楽が好きな人のエッセンスがある。でも、ちゃんと歌謡曲なんだよ。でも俺たちは洋楽を目指していたので。キャロルは洋楽を目指していたと思う。だからバンドだよね、バンドサウンドに合う洋楽のような日本語の歌を俺たちも目指していた。時代の流れだよね。振り返ると面白いね。
S そんな70年代から今までミュージシャンをやっていて、もっとも嬉しかったときはどんなときですか?
D 嬉しかったときはね、ここだけの話なんだけど、俺は成り下がりの時代にフライデーされてさ。もう15年くらい前かな。すごく悩んでいた時期で。でもそんな時にいっぱい曲ができたんだよね。気付いたらアルバム一枚分できて。ミュージシャンって、失恋するといっぱい曲ができるんだよ。自分の苦しみみたいなものが全部形になって、ものすごい数の曲ができて。それまで実は悩んでいたんだよ、俺は曲を作るのが苦手なんだなって。レッド・ウォーリアーズを解散した後に、いろいろな曲を作ってきたんだけど、自分の中で全然しっくりこなくて。でもその時に「Cry For Love」っていう曲ができたんだよ。それは苦しみを歌った曲で。その曲が出来上がって、コンソール・ルームで聴いたときに、苦しみがさ、歌の中から抜けていくんだよね。いろいろな人にアイツひどい奴だなって言われる時期に、曲の中で悦に。躁鬱みたいな状態にいながら、本当の喜びの真っ只中に溶け込んでいく自分を感じたときに、ミュージシャンでよかったなって。
S 普通の人って、それを言葉にもできないじゃないですか?そこが根本的にミュージシャンと違うんだなって。僕も同じ立場だったら、何も手につかず終わっちゃっているんじゃないかなと。
D 何かをやらないと、何をするか分からないくらい追い詰められていたから。でもあれは俺にとって大きな事件だった。まさかフライデーに載るなんて思っていなかったから。今は自分から進んで出ていっているけど(笑)。会見とか嫌でしようがなったから。できればステージ以外のところでは人と触れあいたくないくらいだったから。自分から発信していないのに、いろいろなところに自分の顔写真とか出ていてさ。でもそのおかげでモテたりはしたんだけどね、逆に。どこに行っても「あなた悪い男でしょう?」って。それでモテちゃったりして(笑)。そんな時期もあったけど、俺は嫌でしようがなかった。自分のコントロール外のところで世の中に名前が出ていって、自分がそういう人間じゃないのに、そういう人間のように言われることが。でもそんなときに音楽が助けてくれた。音楽って一番の友達なんだ、何があってもこいつはなくならないんだなって。助けてもらったね。エリック・クラプトンが「いとしのレイラ」を作ったじゃない?俺も似たような心境だったんだと思う。そこまでカッコイイもんじゃないけど(苦笑)。
S (笑)。そしてライヴはミュージシャンの見せどころだと思うのですが、ライヴのときはどんな気持ちなんですか?
D "LIVE "って、生きるという字と一緒だから、俺は生きているっていうのを感じるよね。その瞬間のものでしかなくて。ライヴは燃え尽きないと意味がない、というか。自分の全てといってもおかしくないよね。レコーディングっていうのは、何か魂を吹き込む作業だったりするわけじゃない。でも生きてはいないんだよね。剥製みたいなものだから。一番いい状態で剥製を残す、みたいな。ライヴっていうのは、本当に自分の全てなんだよ。現役っていうのは、ライヴを表現できる自分でいられるか、ということだよね。
S 最近の若い子たちはレコーディングスタジオで歌うだけで、ライヴをしないバンドが増えているらしいんです。その心境はどうなんだろうと。
D でもライヴって一体感があるしさ、なんて言うんだろう?いつの時代も宗教的なものでもあるじゃない。宗教だと思うんだよね。音楽で高揚して、みんながひとつになる行為が。
S ハコの大きさじゃないんですよね。人数が少なくても。
D 何かが繋がるよね、テレパシーというか。歌っている人間ってカリスマみたいに言われるけど、実際はイタコと変わらないんだよね。降りてきて、何かを伝えている、というか。そいつがなんでもできるような人間に思われているけど、実際はそんなことないんだよね。イタコだよ、みんな。そうじゃなければいけない。エンターテインメントはもちろん表現で楽しむためで。俺はサムシングって呼んでいるんだけど、魂なのか何なのか分からないけど、そのサムシングっていうのは、楽しませるもの以外に、何か魂を感じさせる、というか。人生において、自分が何かを与えるもの、というか。それはイタコに近いよ。それは天から降ってきたものを投げる感覚に近いと思うよ。俺なんかレッド・ウォーリアーズやソロをやっていて、最近はそこまでできないんだけど、天から降ってきたものを投げている感覚になったことがある。自分でも何をやっているか分からないときがある。
S それはやっぱりミュージシャンならではですよね。
D うん。唯一、特技といったらそういうことなんだろうね。俺なんか本当に、曲も作ったりするけど、30年もやってきて、自分でいいなと思ったことは一回もないしね。自分にしか作れないものもいくつかあるのかもしれないけど、決してプロフェッショナルな作り手じゃないし。できるのは歌というか。でも決して歌もうまくないからね。うまい人はいくらでもいるからさ。綺麗に音程どおりに。たくさんいるよ。それはできないから。結局、何をやっているかというと、もちろん自分の中では努力をしなければならない。でもいくら努力しても無駄だな、と思うときもあるよ。努力じゃないんだな、これはって。30年やってきて思うのは、結局イタコなんだよ。努力して、何かやっても全然変わらないときがある。もちろん一生懸命練習するよ。努力をするべきだと思う。でも努力をしようがしまいが、変わらないんだよ、元が。そこに自分がいるしかない。だから何も変われない、という自分に気付く。なんだ、そのままやればいいんだって。だから努力をすればするほど無駄になるときがある。無駄な自分を一生懸命、型にハメてさ。今、そんなことも感じたりしてね。
S すごいですね。無我の境地というか。
D まあ、何事も努力をしないとできないんだけどさ(笑)。結局は明日になっちゃうんだよね。はい、明日やりますって。今まで一生懸命やってきたけど、チマチマしたものでしかなかった、というか。結局はぶっつけと変わらないなって。
S その境地が歌にしても何にしてもストレートに出ている印象があります。
D そうなんだよ、何をやっても入らないんだよ、俺って(笑)。悪く言うとね。今更無駄なんだって分かったね。本当はそのままの自分でやれば、いいものは溝にしかハマらないというか。その溝をやれば誰よりも強い溝にハマるんだけど。技術として頑張ったところで、ピンポイントでハートを打ち抜くっていうのは、溝にハマる以外方法がない。ただ唯一自分のプラス、利点は溝にハマることができるということ。それだけなんだなって、最近気付いた。誰かが言ったものな、ギタリストとかは練習すればするほど上手くなるんだけど、ロックのヴォーカリストは練習するよりも遊んだほうがいいって。そのほうが上手くなるよ。
S でも聴くほうもそんなに上手い、下手で聴いていないんですよね。
D そうなんだよ。キース・リチャーズは最悪のギタリストなわけじゃない?でも上手くなっちゃったら、で面白くもなんともないわけで。ロックンロールじゃなくなっちゃう。上手くなったら別の領域にいくけど、ロックンロールのよさっていうのは出ないんだよね。分かんないね、本当に。何がいいんだか。